久しぶりに見応えあるクライム・ムービーでした。
『L.A.コンフィデンシャル』等で知られるジェームズ・エルロイが脚本参加した本作は
『L.A.コンフィ…』以上にリアルな描写と、厳しい結末が用意されている。


出だし、CMでもよく見かけたアルコール飲みながらの運転。
あの小ビンの中身はウォッカだ。
絶望的な身上を忘れるため…いやそれだけではない。
現実感覚をマヒさせないと立ち向かえない危険な現場に赴くためだ。

韓国人の犯罪者の前で車を止め、危ないブツの取引を始めるキアヌは、
その韓国人にコンニチワと日本語で呼びかける。
明らかに険悪な顔になる韓国人。
交渉はこじれ、キアヌは韓国人にボコボコにされる
「何がコンニチワだ!俺達は韓国人だぞ」
捨て台詞とともにブツを車ごと奪って逃げる韓国人たち。

若干ネタバレになるが、このリアルなシークエンスの説明をすると…

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「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」
スタートダッシュは、宣伝量のわりにやや弱含みといったとこか。3位は予想どおり。この後どれだけ子供を呼び込めるかがポイント。

それなりに評判の前作は後でテレビでフォローした。とりあえずその評判に乗って試写に臨んだが…
内容的には、笑いが目減り。ストーリー重視に路線変更。
ストーリー重視と言っても、あくまで1作目に較べてですよ。
普通の映画でこの内容だったらなめとんか〜!」である。

基本的に
夏休み子供まんが祭レベルの映画でした。

心霊ホラーっぽい滑り出しは良い。
その後は、子供ウケを狙った妖怪コント&バトルが続いて、話が先へ進まない。
シリーズ最大のバトルとなった異国の妖怪夜叉(ソ・ジソプ)戦は、それなりの激しさはあるものの、あくまで子供映画としては…といったレベル。何も新しいアクションは見られない。
この場面をホメているアホがいるが、そういう人は今まで香港映画やハリウッドのアクションを見たことがないのだろうか?悲しいかな余りにも遜色ありすぎる
この夏公開の「ドラゴン・キングダム」とか「ダークナイト」を見た時、この作品のアクションを見直す気になれるのだろうか?
松竹にアクション期待しても仕方ないか

その上このバトルが全く本筋と絡んでない
夜叉は、突然出てきて、なぜかそこにいる。鬼太郎他登場人物たちとは何の関係も因縁もない。セリフもない(急に出演が決まったので日本語のセリフは無理という大人の判断だろう)
これではバトルもドラマも盛り上がらない
話の展開を完全に止めているので、大人はイライラしてくる。

で、実はこれこそが『鬼太郎』の最大の危機となる予感がしている(以下若干のネタバレもあり)
法則発動」で、本当に凄いことになっている。
(法則発動とは http://www.tamanegiya.com/dannkunnnonoroi.html

1週早く封切られた「アイアンマン」と「スピードレーサー」はサマーシーズン前半の目玉対決とされいたが、フタを開けてみれば
『スピードレーサー』の惨敗が明らかになった。


全米興行大苦戦

『スピードレーサー』初日の5月9日 
トップは、
同日9日目に入った『アイアンマン』    1530万ドル
2位『What Happens in Vegas』        717万ドル
3位『スピードレーサー』          619万ドル
1週前の作品に2倍以上の差がついている。
2位は低予算のラブコメである。

この時点で私は「スピードレーサー」の全米での最終見込みは
70日後のトータルで 初日x8=約4500万ドル と予測していた。

しかし、その後ワーナーが米国内での興収予測を発表。
当初の1億ドル強から1/3以下3000万ドルに引き下げた
http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d000001it99.html
かなりシビアなことになっている。

米国内:海外 の興収の割合を 7:3 と甘めに仮定すると
7000万+3000万=1億ドル前後が予測される。

さて「スピードレーサー」の製作費であるが・・・
最後になって、取ってつけたかのような突然の事故の描写で幕を閉じるこの映画。
あの事件を知らない、そして日本韓国以外の人が見れば「ぽかーん」となってしまうでしょう。単に「突然、いい人が死んでしまって、なんだかかわいそう」というだけの、何を言いたいのかよくわからない変な映画でしかありません。

この作品は「特殊」です。
実名を使用し、まだ記憶に新しい実際の事件を描き、それを「売り」としながら、実質は作り話(フィクション)だからです。

作品の脚本・監督である花堂氏は
「実話に基づき、織り交ぜながらも、ドキュメンタリーではなく、(主人公の)を浮き彫りにするための『フィクションを書き上げることに決めた」と言っています。

つまり、この映画は韓国人の主人公だけを描いた「作り話」であり、しかも日本側は不在なのです。
テレビ始め、各種メディアが「日韓の架け橋」「真実に迫る物語」と喧伝しながら、根本は主人公(韓国側)中心ののフィクションになっています。


実名を使用するのは、ノンフィクションの作法
(と言っても、本人の了解が必要)
ならば、中立の立場から重要なファクターをできるだけ正確に盛り込まなければなりません。

フィクションにするなら
基本的には、登場人物の名前や、出来事、場所といった基本的な設定を作り変えなければならない
それがノンフィクション・フィクションの基本的な作法です。
その基本的な約束事に則っとっていないこの作品の作られ方には
このような重大かつ意図的な過ち」がある訳です。
先月の試写会で、クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作の日本編となる
『硫黄島からの手紙』を観た。

硫黄島の戦いの凄まじさをドキュメンタリーや資料である程度知っていた者からすると、あの極限を超えた過酷さはほとんど伝わってはこなかった。
というより、あえてそれを削ぎ落とし、テーマを別の所に求めた作りになっていたように思えた。
あの過酷さ、凄惨さを克明に描いてしまえば、アメリカの観客には決して受け入れられないであろう、という配慮が働いたのかもしれない。
(そのままやっちゃうと「プライベート・ライアン」以上の凄惨さになってしまう。そこで争うつもりはないよ、とでも言いたげなくらい淡々とした語り口、描きぶりだった)

アメリカ編の『父親たちの星条旗』ともに共通して感じられたのは
イーストウッドの「冷静さ」だった。
感情的に揺さぶるような手段ではなく、「戦争」という非常事態、非日常の中で起きることを、奇をてらわずに淡々と描き出していた。

「戦争」を、マクロではなくミクロ…そこで生き死にした人々の日常の視点から描いていた。
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